最近、アトピーとかいい薬たくさん出ていい感じだよね。
でも部長の処方みてたら、適応ない人にまで無理して処方してるんだよね。
そりゃまあ、効くんだけどね。
生活保護のひとが使えて、普通に働いているひとが使えないのはモヤるよね。
なんで、ボスはあんなに新しい薬をつかいたがるんだろ?
高額な医薬品は勤務医にとってコスパ最強
「病院はクリニックとは違って高度な医療に携われるところである」というのが医師にとっての病院の魅力だという意見を聞くことがあります。
とはいえ、その高度な医療の実態は、ただ単に高額な医薬品を処方しているだけ、ということも。
「それってクリニックでもできるし、医師の技量というより製薬会社が頑張って開発した恩恵を受けているだけ」という穿った見方もできます。(性格悪くてすみまん。。。)
個人的には、「エビデンスに基づく医学的な適応がない軽症患者にもジャンジャン処方されている」なんてことにも遭遇したことがあります。(医学と医療は別なのでこういう対応を否定するつもりはありません。)
人の行動は常に善です。もちろん自分にとっての善ですが、何かメリットがなければその行動を選択することはないはずです。
別の立場から見るとモラルがないようにも見える、「高い医薬品をバンバン処方しちゃう医師の行動」にもきっとメリットがあります。
精神的・金銭的な報酬という観点、仕事がラクになるという労力の削減という観点から高額な医薬品の処方のコスパを考えてみます。
新薬を使えば、満足感と評価と金銭が手に入る
高額な医薬品といえば、やはり新薬でしょう。
薬価は年々下がってきていますが、
新薬であれば付加価値として高い薬価がつけられます。
高い価値のある薬が正しく評価されることは自体は良いことです。
問題はむやみに使われてしまうこと。
新薬を使うことで、医師にはどんなプラスがあるのでしょうか。
患者を治す満足感と医療界への間接的な貢献
医師を生業とする以上、患者さんに良くなってほしいと思うのは当然ですよね。
必要な人に適切な薬を使用して、症状を和らげるのは、素晴らしいことです。
長期的な副作用はともかく症状は治まり嫌味を聞かずに済む
患者さんに対する治療方針は医師によって違いがあります。
エビデンスに基づいて適応のある患者に対してのみ新薬を処方する医師もいれば、
適応を幅広く解釈して客観的にみれば軽症な患者にも新薬を処方する医師もいます。
たとえば皮膚科でいえば、
IL-31 阻害薬のネモリズマブや IL-4/13 阻害薬のデュピルマブを、
乾燥が原因の皮膚そう痒症患者に投与しても、症状は改善させられるでしょう。
2024 年現在、どちらの薬も皮膚そう痒症への適応はありません。
大半は、保湿剤を中心としたスキンケアができていないことが原因です。
ただ、保湿剤を使用することは、多くの患者さんにとって面倒です。
そして残念ながら、保険適応の範囲での処方では、保湿剤の必要量をカバーできないこともあります。
そうなると、患者さんは自身で保湿剤を購入しなければなりません。
医療機関を受診すれば治るという期待は裏切られ、医師への不満がたまってきます。
それが、ネモリズマブやデュピルマブを処方することで医師は不平不満から解放されます。
ネモリズマブやデュピルマブならまだしも、JAK 阻害薬を使うとなると、
本来は長期的な副作用を考慮する必要もあります。
そして目の前の患者さんに長期的なリスクを理解してもらうことはかなり難しい。
リスクを説明しないわけではないのです。
薬を使って奇跡のような状況を体験すると、患者さんにとって不都合な忠告に耳を貸しにくくなることは想像も難くありません。
こうして、なんとなくの軽症でも、「患者さんが不満に思う」か「不満をもつ」手前で
「医『学』的な適応”外”」を「医『療』的な適応”内”」だと扱って新薬を使用することが起こります。
それが世間では「あの先生はこちらの悩みを解決してくれる名医だ」と評されます。
結果的には寿命を縮めている可能性があるにもかかわらず、です。
適応を慎重に見極めて使用する医師がバカみたいですが、
そういう融通が利かない医師は残念ながら「ヤブ医者」扱いされてしまうこともしばしばです。
新薬を使うことで長期的なエビデンスの構築につながる(気がする)
ベストセラー「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学によると、
人間は「貢献感」をもつことで幸せを感じることができるといわれています。
患者さんへの貢献に加えて、新薬を使うことは治験の間でわからなかった実世界でのデータの蓄積にも役立ちます。
新薬を頻繁に使用する医師が自覚しているかはわかりませんが、
確かに医学全体のことを考えると社会貢献をしていることにつながる可能性はあります。
仮にエビデンス蓄積の結果、その新薬の「有効性が疑問視された」としても「副作用が判明した」としても、医療界全体で考えれば
「新しいことがわかった。薬を使ってみなければわからないことの発見につながった」
と考えることができるわけです。
新薬を使いたがる医師は、元研究者ということも往々にしてあるでしょう。
研究マインドをもって医療の現場で仕事をしている自負があるかたにとって、
新薬を処方することは「自分の仕事が新しい発見につながっている」という感覚をもつことにつながります。
患者からすれば、実験台にされるのはたまったものではありませんが、
適応外で新薬を使用するということは、そういうことになりかねません。
そのために、倫理委員会というものがあり、適切なプロセスで医師主導の臨床試験が計画されるのです。
皮膚科の学会発表ではたまにみられますが、「(適応外だけど)○○という薬をつかったらよくなった」という発表をみることがあります。
「倫理委員会などのプロセスを通してるのかな」という疑問を禁じえません。
国の制度としては、保険適応外の治療と保険診療を併用可能にする「患者申出療養」や「先進医療」があります。
高難度の治療を初めて医療機関でおこなう場合には「高難度医療技術」として導入方法が明確にされています。
いずれも委員会で議論をしたうえで初めて治療薬が使用可能となります。
個人的な自己満足でエビデンスを構築することは、あまり望ましい態度とはいえませんし、
不適切なプロセスで構築したエビデンスが正式に認められるとは思えません。
それでも、人間の根源的な欲求として貢献感を得たいという欲求がある以上、医師が新薬を処方したがるのも自然な行動といえるでしょう。
新薬の費用がそのまま売上につながる
精神的な報酬よりもっと具体的なのがお金の話です。
医師個人というより病院単位のことでいうと、
医師をはじめとした医療従事者に給与を支払うためには、収入をえなければなりません。
そのため、診療科単位で収益を上げるよう誘導する仕組みづくりが必要です。
一番簡単なのは、各診療科ごとの売り上げの可視化です。
収益が上がっていない部署には罰を与え、収益が上がっている部署には褒美を渡します。
ビジネスの世界では、賛否はあるものの古典的に使われていますよね。
病院でも罰というほどではないかもしれませんが、
「スタッフの数を減らされたり」「医療機器の購入などの予算を減らされる」ことはあると聞きます。
そういう仕組みがある前提だと、診療科の長は、評価を得るために売り上げを確保したくなるのも当然でしょう。
新薬は一般的に高価です。売り上げに直結します。
デュピクセントの例
たとえば、デュピクセントというアトピー性皮膚炎の薬は非常に売れています。
効果があるのはもちろんなのですが、売り上げを高いように見せたい医師にとっても非常に好都合です。
デュピクセントは 1 本 6 万円。
月に 2 本使用するので病院内で注射をすれば 1 か月で 12 万円の売り上げを見込めます。
皮膚科の外来患者さんは一人当たり 4000 円ほどの外来単価とされていますので、
デュピクセントを使用するだけで 30 人分の患者さんを診察した売り上げと同じになります。
新しく高価な薬をたくさん使用すれば見た目の売り上げは青天井になるというわけです。
え、売り上げが良くてもそれは薬のお金だから、そんなに利益にはつながらないんじゃない?
このように考えるかたがおられるかもしれません。
しかし、「実際に利益が上がるか」は実は問題ではありません。
病院では、原価や人件費を計算して利益がでているかをみることはほとんどありません。
看護師さんは多くの部署で稼働していますし、外来をとってみてもひとつの診療科だけに関与することもありません。
薬の仕入れ値も通常は一つの製品ごとではなく、
病院が買った薬の合計が○○万円といった形の仕入れ方をしています。
そのため、薬ごとに原価を計算することは困難です。
結果的に、診療報酬のレセプトでわかる売り上げ部分しか注目されないのです。
そうすると、
いくら原価が高いといっても見た目の売り上げだけ伸ばしておけば罰を受けずに済みます。
利益が少ないように見えても高額な新薬を使いたがるのにはそんな理由があります。
また、病院では今でも薬価差益で利益を上げているところもあります。
薬価差益とは、「病院が薬の仕入れ値と薬価の差で生じる利益」のことです。
薬価差益が大きければ、当然病院の利益もあがります。
しかし、元はといえば、薬を処方すれば儲かってしまうという状況を改善するために「医薬分業」が進みました。
こうした背景を考えると、病院が薬価差益を拡大することは、あまり望ましい状況とはいえません。
もちろん、病院が薬の小売りとして「薬の保管」や「期限切れ」のリスクを引き受けている点は一定程度評価があってもよいとは思います。
いっぱい使えば講演会という副業の道が
さきほどは病院内での評価のために新薬を処方するという心理でしたが、今度は病院外での評価です。
医師なら製薬会社の MR さんから連絡を受けることは良くありますよね。
若手のころなら、食事付きの講演会の案内を受けて聞きに行ったりしたかたも多いと思います。
新薬をたくさん処方していると、講演会を聞く側から話す側に回ります。
製薬会社としては、新薬をつくったからにはできる限り利益を上げなければなりません。
そのために、MR さんが情報提供をしてくれます。
しかし、医療用医薬品の宣伝は結構難しいのが現状です。
「業界の自主規制」や「薬機法による一般人への広告制限」があるからです。
そして、MR さんが話すよりも医師が医師に講演をするほうが宣伝効果が高いのは間違いないでしょう。
いまでは、エムスリーなどの企業が薬のマーケティングを担うこともありますが、
Web 講演会という形でも講演会は残っています。
当然、講演している先生は、タダで話しているわけではなく、お金をもらいます。
普段の診療内容をまとめて発表するのが通例のため、
新薬を多く処方している医師のもとに講演の依頼が集まります。
医師からすれば、 こうして1 回数万円から 10 万円の副収入が手に入るわけです。
はじめはたまたま依頼があったかもしれませんが、
継続的に講演をするために処方をたくさんするという本末転倒な状況になっているケースもありそうです。
「この先生は新薬が出るたびにいつも講演会で話しているなあ」という感想をもつこともあります。
このようにみると、新薬を多用する医師は、製薬会社の広告ニーズと医師の副業としてのニーズが合致した産物ともいえますね。
新薬の処方は、医者にとって簡単な解決策
ここまでは新薬を処方することで医師の得られるものにフォーカスしてきました。
医師が新薬を処方しやすい背景には、処方をすること自体の容易さもあります。
つまり、新薬を処方するほうがラクなのです。
ステークホルダーが少ない
薬の処方というのは医師にとってはかなりラクな解決策です。
自分の手を動かす必要もありませんし、誰かに何かを説明して理解してもらう必要もありません。
ただ、薬を処方して患者さんに飲んでもらう、もしくは病院で注射をすればよいだけです。
先ほどの例を再び考えてみます。
乾燥が原因でかゆみのある患者さんにデュピクセントを処方していた例です。
正論からいえば、保湿剤を塗ってもらうところからがスタートでしょう。
しかし高齢者で独居の場合だと、これは並大抵のことではありません。
全身に必要な保湿剤を外用するには保険適応の量だけでは足りないケースもあります。
そうすると、ドラッグストアなどで保湿剤を購入するように指導しなければなりません。
一人で買い物に行けない高齢者もいます。
そんな場合には家族やケアマネージャーに連絡して事情を説明しなければならないでしょう。
ところが、薬を処方するだけでよければ、そんな説明は必要ありません。
生活習慣をかえることなく、効果を出すことが可能です。
医師と患者の関係性のみで治療が完結します。
情報の精度は、誰かを介すると必ず一定の割合で悪くなります。
面倒な上にちゃんと伝わらないリスクを避けることができる点で、薬の処方だけで済むというのは非常に便利なのです。
面倒な説明が不要で患者に理解させやすい(行動変容させやすい)
医師ならわかると思いますが「病気→薬→治る」という単純な図式はほとんどの場合で成立しません。
そのため、生活環境を整えたり、塗り薬なら塗り方を説明したり、スキンケア指導をあわせておこないます。
しかし、一般のかたにとっては「病院にいく→薬をもらう→治る」という図式が最もわかりやすいです。
例えば、風邪で病院を受診した患者さんの場合。
これはウイルス性の病気です。
放っておけば治ります。
症状も軽いので、薬はいりません。
病院に来たのになんの薬もくれない。
なんてひどい医者だ。
めでたく Google 口コミで星 1 をつけられます。
いかに医学的にあっていようとも、
抗菌薬の使用で耐性菌増えようとも、
薬にプラセボ以上の効果がなくても、
薬を使用せずに患者さんを理解させることは一苦労です。
というかほとんど無理です。
時間をかければ説得できるかもしれませんが、
外来診療に 20 分も 30 分もかけられる医師はそう多くないでしょう。
そして説得したとしてもその患者さんは二度ときません。
そんな状況で別の医師が「いい新薬があるんですよ」と伝えたらどうでしょう。
患者さんは間違いなく飛びつきますし、この医者は「よく勉強している名医だ」と感じるのです。
おめでとうございます。Google 口コミ星 3 を獲得です。
繰り返しますが、新薬を積極的に処方する医師が悪いわけではありません。
患者さんには喜ばれるでしょう。
患者さんにとっては、正しさよりもわかりやすさが正義です。
治らない文句に付き合わなくて済む
医学的な適応と医療的な適応は違いますよね。
明らかに軽症で、機能障害(日常生活の困り度)が少ない患者さんに、重症患者に適応のある薬を使用するのは道理が通りません。
例えば、処方した薬をわざと飲まずに治らないと主張する。塗り薬を説明通りに使用しない。
そういった患者さんに寄り添うことは否定しません。
飲み忘れがあるなら、ポケット付きのカレンダーに薬を入れておいて飲み忘れを防ぐ。
塗り方が少ないなら、外用指導をして必要量を確認する。
いくらでも方法がありますが、これらは患者さんにとって手間がかかります。
協力的なかたもいるかもしれませんが、何かにつけて「○○できない」とおっしゃられる患者さんもいらっしゃいます。
病院に来ているんだから患者側に工夫を求めるんじゃなくて、
医者がなんとかしろ。それが仕事だろ。
というお考えのかたを受け持ったこともあります。
もちろん、そうなのですが、
患者さんのお身体や生活は患者さん自身のものであり、
家にまでついて行って毎日飲み忘れがないか確認したり薬を塗ってあげたりをすることは現実的ではありません。(訪問看護は可能ですが、それにも上限がありますので毎日おこなうことはできませんし、費用はかかります。)
新薬以外の提案をして受け入れられなかった場合には、新薬以外で治す手がない状況ともいえます。
ここでは意見がわかれるでしょう。
- 環境調整も含めて患者さんができないのだから、新薬を保険診療で使うべきだ
- いやいや、患者さんがこちらの提案を全く聞き入れていない以上、保険診療で軽症に適応のない新薬を使うべきではない
どちらも正解です。
が、前者は患者さんから治ったと感謝され、後者は患者さんから不平不満を浴び続けます。
そして、患者さんからの不平不満に耐えることはカンタンではありません。
納得できる仕事をする
上司が新薬を使いたがる理由には、「医学を修める成長欲求」以外の要因がたくさん絡んでいます。
「仕事」は、「誰かの役に立つこと」を意味します。
「エビデンスを学び実践すること」と「誰かの役に立つこと」は必ずしもイコールではありません。
医療の現場には必ず人が介在します。
情報は必ずしも正しく伝わることはなく、まったく受け入れられない場合には 100% 正しい情報の価値はゼロにもなりえます。
つまり仕事をする以上、80% の情報であっても大前提として、相手に受け入れられることが正義なのです。
そういう意味では、
必ずしも正しい科学的根拠がなくても、患者さんに喜んでもらうやり方も正義になります。
「医学的な適応がなくても新薬をつかうこと」はその一例かもしれません。
当然、より正確なエビデンスを提供することが評価されないことに不満を感じる人はいるでしょう。「評価されないこと=絶対悪」ではありません。
評価が悪くても、自分が信じる方法を貫くことが間違いではありません。
働く以上、感謝されたいものです。
ありがとうと言われたいものです。
「合理的な判断をしていては感謝されにくい」「合理的なことが通じない」現場に納得できない場合、どんな解決策があるでしょうか。
今の職場でもできる【患者を選ぶ】
今の職場でも、合理的なことを貫くことは可能です。
その方法の一つは、患者を選ぶこと。
合理的なことをきちんと説明しても理解できるひとはそれほど多くありません。
しかし、理解はしなくても受け入れてくれる人はいるでしょう。
病院に通いなれていない患者さんがもっともよい対象です。
なぜなら、病院に長く通院している患者さんは医療者に慣れてしまい、医師の権威性が失われてしまうからです。
慣れ親しんだ医療者のことは信用する一方で、自分の意に沿わない医療者については反目してしまいがちです。
通院歴が長い患者さんには、
仮に 100 点でなかったとしても、
これまで続いてきたこれまで通りの希望の治療を提案することが Win-Win となります。
希望の内容があまりにも医療者の負担となる場合には、
信頼関係が築けないという理由で治療をお断りすることもやむをえません。
病院慣れしていない患者さんには、思う存分 100 点の治療をすることが可能です。
医師の権威性は正しく使用されれば公益性も非常に高くなります。
エビデンスに基づく治療をしたい医師にとっては、初めて病院にかかる患者さんの治療がもっともやりがいを感じられやすい仕事だと思います。
職場を選ぶ【自費治療で生きる】
「患者を選ぶ」というのは、やや過激で「できない芸当」かもしれません。
そうであれば、「所属する職場で合理的なことを貫きつつ、やりがいを得ること」はかなり難しくなります。
やりがいを求めて別の職場を探す必要もありそうです。
しかし、病院はどこまでいっても病院です。
上司の先生が新薬を使う理由の一つに「見た目の売り上げを伸ばすため」というものがありましたよね。
薬剤費を評価に入れるというのは、医師の評価としてはあまり望ましいとはいえないでしょう。
医師の力量とは関係がないことのように思えるからです。
とはいえ、診療科の評価に薬剤費が含まれない病院はほとんどありません。
「保険診療で薬剤費を増やす」ことに違和感を感じる人は少なくありません。
「患者さんの自己負担が少ないこと」にかこつけて売り上げを伸ばす姿勢への違和感が原因でしょう。
世間的には「ルールで問題ないなら徹底的に利用する」のが常ですが、この違和感は医師の良心ですよね。
自己負担が少ないことが問題なら、いっそのこと、自費診療ならどうでしょう。
自費診療をこき下ろす医師はまだまだ多いですが、
法外なことをしなければ、保険診療よりも健全な面があります。
患者は、費用と効果を天秤にかけます。
医師としては、客観的なエビデンスに基づいた提案をおこなうことで、患者の意思決定をサポートすることができます。
費用に見合うと思えば患者は治療を希望しますし、そうでなければほかの選択肢を希望します。
美容医療や人間ドック以外の自費診療が少ないことは懸念点ですが、
患者がコストをかけて治療に前向きであるという点では、保険診療よりもシビアに患者と向き合うことができるかもしれません。
業界を選ぶ【アカデミアはもっとつらいかも。ビジネスもお気持ちの正論は通じないがルールが明確】
保険診療でも自費診療でも、
仕事をする以上、患者と医療とお金の関係から逃げることはできません。
金銭的・時間的な制約が外来医療に存在する以上、
完璧な診療をおこなうことは難しく、何かを犠牲にしなければなりません。
「医学的な正しさ」や「表面的な患者満足」、「医師の信念」「組織内部での評価」が犠牲になるかもしれません。
そこに納得できないのであれば、臨床を離れることも選択肢に挙がります。
アカデミアで研究をするのもよし、医療から離れてビジネスの世界に生きるのもよいでしょう。
ただし、アカデミアもビジネスも生易しいものではありません。
しかし、ルールは明快です。
結果を出せれば評価され、結果を出せなければ評価されない。
アカデミアでは人類の役に立つ新しい発見が評価されます。
ビジネスでは経済的合理性が評価されます。
結果を出すための制約に、臨床現場のお気持ちといった曖昧さはありません。
明確に規定された法律を守ることが最低限の制約です。
外の世界に出ることで、臨床現場の違和感をより具体的に認知できるようになるでしょう。
評価するとは、違いを比べることだからです。
臨床現場に疑問をもち、行動して損することはありません。
医師なら、それくらいのリスクを冒して失敗しても必ず挽回できます。
まずは、「外の世界をリスクなく知る」ビジネス書などから始めてみてはいかがでしょうか。
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