医師間のコミュニケーションエラー問題【組織論から考える働きやすい職場】

キャリア
専攻医
専攻医

あー、部長先生、本当きついわー

同僚
同僚

どしたの?

専攻医
専攻医

なんかね、心不全と蜂窩織炎で酸素使ってる患者さんなんだけど、うち皮膚科でマンパワーも少ないのに引き受けちゃったらしくて。担当よろしくってさ。

同僚
同僚

あー、勝手に引き受けて下に振るパターンね。

専攻医
専攻医

皮膚疾患があったら担当を振るのはいいんだけど、実際診察したら蜂窩織炎はなくてさ。
ルートの刺入部がちょっと赤いだけなんよね。

がっつり内科疾患だって部長には伝えたんだけど、「もう引き受けたから」ってさ。
患者さんにはいい先生なんだけどね。

同僚
同僚

むむむ、だね笑
よくあるけど、なんでこんなことになるんだろうね?

「組織論」を学べない医師のキャリア【より良い組織とは】

上司からの指示や病院の判断に納得がいかないことは日常茶飯事です。

原因のひとつは医師が「組織論」を学ばないことです。

医師は幼いころから競争ばかりです。表面的なチーム医療を学ぶ場はあっても、協力する方法論をまじめに学ぶことはほとんどありません。医学部受験はまさに競争ですし、国家試験も相対評価で合格するにはほかの人より有能でなければなりません。医師の最高のキャリアは常識的には大学教授であって病院長ではありません。競争に慣れてきた医師は、技術が高いスペシャリストが評価されやすい風潮があります。

医師は技術的な高みを極めるスペシャリストを目指す一方、組織を率いるリーダーとしての学びを深める機会がありません。マネジメントができるから部門長になるわけではなく、専門性が高いから部門長になることがほとんどです。

結果として「組織を率いるにはどうすればよいのか」を体系的に学ぶことがないままリーダーとなり自己流の方法で管理してしまいます。納得のいかない判断が下る問題の大半はこの自己流の管理が原因です。

「組織論」といっても、お勉強の理想論でしょ?という意見はもっともです。

ただ、「理想を知らずに実践すること」と「理想を知ったうえで実践すること」には雲泥の差があります。エビデンスを学ばずに治療にあたることは良しとはされないですよね。

組織の定義には諸説ありますが、Google 検索でよくヒットするものは、チェスター・バーナードの定義です。

意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステム

チェスター・バーナード 経営者の役割 1938年

そして組織の成立条件として 次の 3 つの要素を挙げています。

【バーナードが提唱した組織の 3 要素】

  1. 共通の目的を達成するために(共通の目的)
  2. コミュニケーションをとって(コミュニケーション)
  3. 互いに協力する(貢献意欲)

2 「コミュニケーション」や 3 「協力・貢献」は実際がどうあれ、重要性が強調されていることも多いかもしれません。(具体的にどうするかまでは組織内で言語化されていないことが多いでしょうが)

一方、1「共通の目的」についてはあまり強調されてないように思います。

目的が具体的に共有されていないと議論が成り立たない

「病院の目的?そりゃ、患者さんのためでしょ?」という当たり前感があるためか、あまり議論されません。

もちろん患者さんのためなのですが、患者さんの診療にあたる考え方や組織としての方向性の共有が具体的になされていないことに問題があります。

例えば、アトピー性皮膚炎の治療を考えます。

アトピー性皮膚炎の標準治療はガイドラインに記載されています。

しかし、日本のガイドラインもあれば海外のガイドラインもある。しかも中身が微妙に違う。見方によっては、海外のガイドラインのほうが優れている面もある。

このような場合にどちらの意見を採用するのか?

日本での治療だから日本のガイドラインをすべて採用するという考え方もあるかもしれませんし、より先進的な考えは海外のガイドラインから取り入れるという考え方もあります。

また、診療的にコストが見合わなかったり、患者単価が低くなるから、経営を成り立たせるために病院独自の方針を採用するという方法もあるでしょう。

ひとえに患者さんのため、といってもその方法は医師の考えによってさまざまです。しかし、同じ組織に属するにもかかわらず対応者によってぶれが生じると患者さんは混乱します。

組織として何かを達成するために、その方法には共通認識が必要だということです。

うちの組織では「ケース A」のような場合には○○という基準で対応します。

というように、一定の基準を設けることで医師同士で判断を共有できます。

問題があった場合には、その基準を見直すためのコミュニケーションをとり組織の方向性をベースに改善することができます。

議論がうまくいっていないケースとして病院の委員会・会議があります。

議題はあれど、そもそもの委員会の目的が共有されていないために「あーでもない、こーでもない。」「オレはこう思う」などとお気持ちによる会議が頻発していますよね。結局、声が強いひとの意見が採用されて、周囲にモヤモヤした気持ちが残って終了していませんか?

目的が共有されていれば、少なくとも同じ方向に向かって解決策を議論することができます。

上司のあいまいなメッセージは部下を混乱させる【コミュニケーション】

目的の共有だけでも大きな前進ですが、ベストではありません。

コミュニケーションが大切なことはどんな組織でも強調されているかもしれません。

「当院ではコミュニケーションを奨励しています」というメッセージだけでは、非常にあいまいで何も言っていないのと同じです。さらに、解釈次第では従業員を混乱させます。

大切なのは具体的な行動にまで落とし込めているかということです。

事務方-医師のコミュニケーションエラー問題で述べたように、病院組織はトップダウンの構造が基本になっていますよね。大学の医局制度が好例です。

トップダウンは日本語で「上意下達(じょういかたつ)」。上長の意向が下の者に伝えて組織の意思疎通を図るという意味です。

上位にいるひとにとって、トップダウンは非常に効率的です。

下位にいるひとをいわばコマとして扱い、自分の思いのままに動かすことができます。下位にいるひとの合意形成が必須ではありませんし、文句を言われることもありません。実際にできるかは別ですが。

一昔前まではそれでも問題なかったのです。このようなマネジメントは「科学的管理法」と呼ばれ、工場の生産ラインなどから派生してきたものです。画一的な仕事をする上では非常に都合がよく製造業以外の分野にも広がっていきました。

チャットツールがない時代のことを考えてみてください。情報伝達の手段がメールや紙が中心の時代のことです。

メールや紙による情報伝達のみでは共有できる量に限界があります。情報量が限られた中で組織を統率するには、全員で話し合うには時間的制約があり、ほとんど不可能です。そんな時代にはトップダウンで意思統一をすることが必要でした。

現在でも、トップのメッセージが明確で正しいものであれば問題が大きくなることはありません。カリスマとして部下に支持されることもあるでしょう。

問題なのは、上司の発信力が乏しい場合です。

ある時には A といっていたのに、次の日には B と言っていたり、物事の良い悪いの判断に一貫性がなかったりすると、部下は何をしても否定される懸念があります。成果に対するコントロールが効かず、無力感が生じるのは避けられません。

トップダウンの組織で上長の発信力が乏しいことは部下を容易にバーンアウトさせます

確かに、一昔前までは上司の考えを部下に共有することは一苦労でした。しかしインターネットが発明され、現在ではさまざまなアプリケーションで情報伝達をすることが容易になっています。

LINE や Slack、Notion といったアプリを使用すれば、今では紙や時間の制約なく情報を共有できるようになっています

情報共有の方法が格段に進歩したことで、トップダウンの中でも明確な意思統一を図れる組織が登場することになりました。GAFA (Google/Apple/Facebook/Amazon)がその好例ですが、その文化は小さな組織に伝播しています。

結果として、トップのメッセージが弱いトップダウン型の組織に対する違和感が生じています。近年、転職が多くなっているのはその違和感を解消する手段なのでしょう。

実際、医師についても転職がより身近なものとなり人材の流動性はかつてより上がっています。

平成 25 年度に 97,488 件だった医師の常用求人数は 8 年で 5 倍弱に増加しています。(令和 3 年度 442,299 件)

厚生労働省 平成 25 年度・令和 3 年度 職業紹介事業報告書

自由が利かないコマとして扱われるのが好きな人はあまりいません。残念ながら、多くの病院のトップメッセージは抽象的であいまいです。

メッセージが明確であれば少なくとも、組織の価値観が自分に合っているかどうかは事前に判断できます

それをしないのはひとつには「中に入れてしまえばこちら(病院)の勝ち」という魂胆があるのかもしれません。転職というのはかつてより簡単になったとはいえ、負担はそれなりにあるので。

入ってから「こんなのとは思ってなかった!」という事態を避けるには、譲歩できない価値観について事前の確認が必須でしょう。

【入職前の価値観の確認が大切】

「○○という場合にはどう対応されますか?」「××については決まりはありますか?」というように組織としてどのように対応するのか、判断基準は何か確認する作業で概ね解消されるはずです。

決まっていない場合には「■■の際に、△△という判断が下る場合にはお手伝いすることができません」と自分の価値観では受け入れられないもの(譲れないもの)を事前に伝えましょう。

無理強いしないことを確認したうえで入職しておけば、仮にそのような場面に遭遇したとしても切り抜けられやすいです。転職エージェントという証人がいるので強制力が働きますし、万一やめる決断になったとしても、病院側が約束を破ったという形にできます。

もちろん、これらの打ち手は売り手市場の場合(転職者が有利な場合)に限りますが。

少し話がずれましたが、働きやすい環境をつくるには上司(組織)の判断基準を明確さが必要です。

心理的安全性にはリーダーのコミットが重要【貢献意欲】

共通の目的が明確にされずトップから具体的な発信がない場合、組織に貢献したいという気持ちは湧いてくるでしょうか。おそらく湧いてこないでしょう。

どうすれば貢献意欲が湧いてくるのか、研究した人物がいます。

「心理的安全性」を提唱したエイミー・エドモンソンもそのうちの一人です。

メンバーが協力して組織に貢献するためには「心理的安全性」が必要だという報告が多数あります。

原著論文は 12639 回の引用数を誇っています。(ちなみに iPS 細胞の原著論文の引用数は 30840 回、2023年8月27日 Google Scholar 検索)

Edmondson, Amy. “Psychological safety and learning behavior in work teams.” Administrative science quarterly 44.2 (1999): 350-383.

同氏が特に有名になったのはGoogle のプロジェクト・アリストテレスという研究で取り上げられてからです。同研究では「高い成果を生むチーム」の特徴が180 のチームの因子と業績をもとに調べられました。判明した特徴のなかでも「心理的安全性」がずばぬけて重要だとわかりました。

以後、「心理的安全性」はNew York Times の記事で特集されバズワードとして広まります。

「心理的安全性」という言葉自体は医学の学会のレクチャーでも紹介され始めています。

が、ファッション感覚で使われており多くの誤解もあるように思います。

提唱者のエイミー・エドモンソンは著書の中で心理的安全性の定義について次のように述べています。

心理的安全性とは、大まかに言えば「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のことだ。

より具体的に言うなら、職場に心理的安全性があれば皆、恥ずかしい思いをするんじゃないか、仕返しをされるんじゃないかといった不安なしに、懸念や間違いを話すことができる。

考えを率直に述べても、恥をかくことも無視されることも非難されることもないと確信している。わからないことがあれば質問できると承知しているし、たいてい同僚を信頼し尊敬している。

エイミー・エドモンソン 2021 年 恐れのない組織 「はじめに」

この定義から、次のような誤解が生じているとエドモンソンは指摘しています。

心理的安全性は、感じよく振る舞うこととは関係がない

エイミー・エドモンソン 2021 年 恐れのない組織  第 1 章

「なんとなくいい人を演じて意見の対立なく波風立てずにおこうとすること」が心理的安全性だと誤解している人がいるようです。

ではどのようにして心理的安全性をつくり、メンバーの貢献や協力をつくることができるのか。

驚くことではありませんが、心理的安全性にはリーダーの行動がより大きく影響するとされているようです。

リーダーに求められるのは「いつでも話に来なさい」といった抽象的な発言ではなく

具体的な手段を講じる」こと。(エイミー・エドモンドソン 2014 年 チームが機能するとはどういうことか P179)

だとされています。

そして心理的安全性を高めるリーダーシップとして次の 8 つを挙げています。

【心理的安全性を高める 8 つの行動】

  1. 直接話のできる、親しみやすい人になる
  2. 現在持っている知識の限界を認める
  3. 自分もよく間違うことを積極的に示す
  4. 参加を促す
  5. 失敗は学習する機会であることを強調する
  6. 具体的な言葉を使う
  7. 境界を設ける
  8. 境界を超えたことについてメンバーに責任を負わせる

「雰囲気として心理的安全性が必要そう」という風潮があるものの、単に唱えているだけで手に入るわけではありません。現状では「心理的安全性、心理的安全性」と謳っているだけで「具体的な手段を講じる」段階に至っている病院はほとんどないように思います。

医師は人を動かすための言語化力が低い

考えを言語化することでしか、人は自分の意図を相手に伝えることはできません。

病院に組織の 3 要素が足りていないのは、医師の言語化力の低さに起因します。

心理的安全性に必要な 8 つの行動をとってみても、自分(組織)の思いを行動レベルまで具体化して伝達する必要性がわかります。

では、なぜ医師の言語化力が低いのでしょうか。少なくとも大学受験までは偏差値も高く優秀だったはずです。学力があるにもかかわらず、言語化力が低いのはなぜでしょうか。

言語化できなくても実務上はそこまで困らない

言語化力の低さは、医療ヒエラルキーで医師がトップにいることが関係しているように思います。

例えば、普段の診療を考えてみてください。

患者さんに対して指導をする場合、基本的には医学の知識がない患者に対して説明する立場となります。情報の非対称性がある状態ですよね。

立場の差を考えると、患者が少し疑問に思ったとしても異を唱えにくい雰囲気があります。

「○○しなさい」という患者への指示が論理的におかしい場合でも情報の非対称性から押し付けることが可能なケースも多いです。

その場合、わざわざ理由を言語化して説明する必要はありません。

部下に対しても同様です。病院内での待遇改善や専門医などの資格認定には上司の評価が必要なことがほとんどです。そんなときにあえて上司の意見に対して異を唱えることはしません

院外のひとに対しても院内のひとに対しても、具体的な理由説明や背景説明をおこなわずに相手の行動をコントロールすることに慣れてしまうのです。

言語化しないことで別のメリットもあります。

言語化しておくと言質を取られる形となり上司の立場では気分で判断を変えることができません。あえて言語化しないことで相手の行動を自分の気持ち次第で強制することができます。

趣味が良いとは思えませんが、上司の立場からすると言語化しないでおくと、相手の行動決める場合のが非常にラクになります。そして残念ながら、それがまかり通る組織が多いのです。

人は勝手に(当然)ついてくるという誤解

医師は言語化力の必要性を感じる場面が少なく、ピラミッド構造の上下関係に依存した指示を多用してしまいます。

言語化力の向上がなく「上下関係に依存した指示⇔言語化力の必要性に気づけない」の悪循環に陥っています。

言語化力の低さはよくある人間関係のトラブルを引き起こします。

【言語化できない上長によるよくある人間関係トラブル】

  • 上司から見て部下が思うように動かない(求める成果をえられない)
  • 問題がうまくいかないのは部下が言うとおりに動かないからだ(他責思考・パワハラ)

もちろん、部下に能力がない場合もありますが具体的な言葉を使って指示していれば解消できる例も多いはずです。

心理的安全性を高めるリーダーシップの 「7. 境界を設ける」がその好例です。

本記事の最初の会話では、理不尽に内科疾患患者をみることになった皮膚科医が扱われていました。このケースでも、事前にどのような場合に皮膚科の担当にするのかを科内・病院内で取り決めをおこなっていれば防げたでしょう。具体的なケースまで言及して「○○という状態だから皮膚科で担当する」ということが明文化されていれば納得感は変わってくるはずです。

部下は上司についてくるのが当然という考えはなかなか道理が通りません。

人は納得して自分の意志がなければ動きませんし動けません。人間はロボットではないのです。

依頼力・リーダーシップがないことが原因であるにも関わらず、問題を部下に押し付けていると当然部下は疲弊します。

そんな職場は働きやすいとはいえませんよね。

気持ちよく働くには組織の目的を言語化するところから

組織の 3 要素が十分担保されず、医師の言語化力が低いために医師同士でもコミュニケーションエラーが発生しています。

ではどうすればよいのか?文句を言っていても解決できません。我慢をしてやり過ごすことも可能です。

もし今の違和感を解消したいなら、組織論について学び「組織の目的を言語化する」ことから始めてみるのがよいかもしれません。

目的を言語化し組織と個人の目的をすり合わせる

組織は共通の目的を達成するために存在しています。

もともとは、ひとりでは達成できないことを集団で達成するために組織がつくられたはずです。

しかし、いつのまにか当初の目的を忘れて日々の業務をただこなす状態になっていたり、理念が形骸化していることも多々あります。

まずは、意味がなくなってしまった理念に再び息を吹き込む必要があります。

そのためには、抽象的な理念や組織の共通の目的を具体的な言葉や行動に落とし込み組織内部で共有していかねばなりません。

理念を具体化し言語化する一例

たとえば「患者の健康を守る」という理念があったとします。
これだけでは抽象的すぎてほとんど意味をなしません。

「患者」とはどのような人を含むのか。美容治療の患者も含むのか、クレームで従業員を疲弊させるひとも含むのか、反社会的勢力も含むのか、つきつめなければなりません。

「健康」についても、健康とはどのような状態を指すのか。WHO の定義(病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態)なのか、それとも日常生活に差支えがない状態を指すのか、解釈が分かれないレベルでできる限り共通認識を持つ必要があります。

「守る」についても同様です。

この過程で、個人的な価値観と組織の価値観に決定的な違いがあると従業員が判断するもあるでしょう。あまりにも大きな価値観の違いは組織にとっても従業員にとっても良いとは思えません。結果的に組織を離れるひとがいるかもしれません。

しかし、共通の目的をもつ組織とは本来そのような新陳代謝を経る必要があるはずです。そもそも価値観があまりにも違う人を採用したことに問題があるでしょう。価値観が合わない人を採用しなければ成り立たないようなら、そもそもの組織の価値観に見直しが必要です。方向性や価値観が異なる烏合の衆では、達成できるものも達成できません。

痛みを伴いますが、働きやすさを求めるには目的の言語化と個人とのすり合わせが必要です。

組織の目的を達成するための制約条件を知る

組織の目的を具体的に表現できれば終わりではありません。

理念や目的というものは往々にしてキレイごとや理想を表現していますよね。

理想を高らかと謳うだけならだれにでも可能です。

理想の実現には必ず制約が伴います。具体的にはヒト・モノ・カネの面で成り立つのかという点が制約になるでしょう。

ボランティアで医療を提供し続けることはできません。

赤字病院が破産すれば、通院していた患者は放り出されることになりかねません。患者はもちろん、雇用されていた従業員やその家族も収入を失うリスクがあります。

組織の目的を実現させるために、どのようにして制約を乗り越えるのか、いつまでに何を達成するのかを話し合う必要があります。

制約を学ぶためには社会について知る必要もあるでしょう。

人事労務管理がどのようにおこなわれているか、労働に関する法規制はどうなっているのか、病院の医薬品・医療機器はどのように購入管理維持されているのか、病院の収益構造や診療報酬はどのようになっているのか、知る必要があります。

この制約は、国によっても変わってきます。事業を組織として進めていくにはルールの中で実行しなければなりません。それは医療でも同じです。日本で医療をおこなうには、日本の法律に従う必要があります。日本の法律を知っておく必要があります。

組織の目的と制約から考えるルールづくりと運用

目的と制約が言語化され共有されれば、最後は実行あるのみです。

心理的安全性を高める行動の「7. 境界を設ける」が運用の参考になるでしょう。

少しわかりにくいので解説します。

先述したように、人を動かしていくには「具体的な言葉」が必要です。

制約を乗り越えて目的を達成するために「○○はいいけど××の方法はダメだよね」という認識を共有しなければなりません。

つまり、「境界を設ける」の意味は組織には具体的なルールが必要ということです。

ルールを設定するだけでは実行力がありません。「8. 境界を超えたことについてメンバーに責任を負わせる」ことも大切です。

これはトップダウンでルールを押し付けて(もしくはルールを言語化せずに気分での判断を押し付けて)罰することではありません。

組織の方向を合わせるために必要なルールをわかっていたうえで破ったなのならば正しい方法で訂正しなければ、メンバーは心地よく働くことはできません。やったもの勝ち、言ったもの勝ちを許していては楽しく働くことはできないですよね。

ルール作りも簡単ではないでしょう。心理的安全性を高め、なるべく多くの人を巻き込んで行う必要があります。

もちろん、医師だけでできることではありません。事務方やコメディカルも巻き込む必要があります。しかし、それを始められるのは、なにもあなたの上司だけではありません。

働きやすい職場をつくりたいと思うなら、まずあなたが行動を起こすことができます。

そのための方法はこの本が参考になるでしょう。文句を言うだけでなく行動に移せるかたを僕は心から尊敬しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました