あー、今日の外来も大変だったよ。
どしたの?
大変な患者さんがひとり来たんだよね。いくつも病院を渡り歩いているみたいでさ。
あー、ドクターショッピング的な感じね。
話を聞いたら、ちゃんとガイドラインに沿った治療を受けてるんよね。
だけど「症状が完全には治らないのは前の医者が悪いから」って言っててさ。
こっちとしてはそれ以上の治療はないと思うだけど。納得してくれなくて。。
それはほんとにどうしようもないよね。医療の限界だわ。
医療に対する期待値のコントロールが不十分
患者-医師のコミュニケーションエラーは「期待値コントロールが不十分」なために起こります。
ここでの期待値コントロールとは「サービスが引き起こす結果についての認識」を受ける側と提供する側で一致させることを指します。
この問題があると、医師にとっても患者にとっても救いがなく誰も得をしません。
医師にとってみると現実的に実行可能なベストプラクティスを提供しているにもかかわらず患者さんに満足してもらえず、場合によってはクレームを受けることがあります。
患者にとっては「治る」と思って高次の医療機関を受診したのに解決策を提示してもらえないため、満足できません。
期待値をうまくコントロールするためには、事前の説明・準備、患者の自己決定が必要です。
まずはなぜこのような問題が生じるのか考えてみます。
そもそも人は他責思考になりやすい
self-serving bias という認知バイアスをご存じでしょうか。
人が陥りやすい状態のひとつで「成功は自分のおかげ、失敗は環境のせい」という思考になりやすい、というものです。
このうちの後半部分(失敗は環境のせい)が、 2 つの理由から医療では起こりやすいと感じています。(肌感)
一つには、この「失敗」の定義です。
患者からみた失敗は「思い通りに治癒しなかった場合」というゼロイチの基準になりやすいです。
もう一つは、「環境のせい」にしやすい状況が日本にはあるように思います。
つまり「医師が責任をもって治療にあたる」というイメージが作られやすい状況があります。
結果として、医療では「自分の望み通りの状態にならない=医師の治療が悪い」という他責思考になりやすいといえるのではないでしょうか。
もちろん、みんながみんな他責思考になるわけではありません。self-serving bias にしてもすべてに当てはまるわけではありません。
しかし、そうなりやすい環境がそろっているように思います。
失敗を医師の責任にしやすい環境がそろっている
健康のことで困ったらいつでも病院に受診できる国、日本。
世界 No.1 の長寿国である日本(WHO, 2019年)。
にもかかわらず、「医療に対する満足度」が他国と比べて低い日本。(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_11/20141104.pdf)
「治らないのはお前が悪い」と直接言われた経験は多くないかもしれませんが、同様の態度はどんな医師でも心当たりがあるのではないでしょうか。
「失敗が医師のせいになりやすい」環境について考えてみます。
医療の提供前に医療における契約に関する事前確認(期待値の訂正)がない
まずは「失敗」の定義について。
医療機関を受診する患者は当然「体調不良を治すこと」を目的にやってきます。
しかし、すべての病気を完治させることはできませんよね。治療法がある疾患だとしても、一回の治療で治る確率は 100% ではありません。
医師としては自身の知識と経験をもとに、オペレーション上の制約があるにしても、最善の治療をおこないます。
素晴らしいことですが、そんなことを患者さんは知りません。
特に説明がなければ、病院にいけば体調不良が治ることを期待するのが当然だと思っていますし、医師にはそれを要求します。
ここにギャップが生じています。
そもそも日本の医療は結果にコミットすることを求められているわけではありません。(http://www.legal-consultants.jp/medical/keiyaku.html)
では、医療提供者が患者側に提供するべきものは何でしょうか?
普段、医療を考えるときに「司法や契約」を意識することはありませんが、医療は対価をいただいてサービスを提供する以上、立派な契約行為です。日本の医療について考える以上、日本の司法の判断が基準となります。
多くの医療訴訟の判例では、医療行為(診療契約)は「準委任契約」であるということが通例になっています。
そして、医師は結果(患者の身体の安全を保証する)に責任を負うのではなく、最善を尽くす責任がある(手段債務)と判断されています。
つまり、日本の医療における失敗は「治癒しないこと」ではなく「適切な治療がおこなわれないこと」と解釈されるわけです。
ですが、残念ながらこのことを患者さんに告げてもわかってもらえる可能性はそんなに高くないと思いますし、時間的にも難しいです。
できることとしては「『病院を受診すれば体調不良が治る』のが当然だという考えが正しいとは限らない」ということを伝えることです。
もちろん、若年者の感冒など放っておいてもそれなりに元通り治ってしまう(可能性が高い)と想定されるものまで、あえてそれを伝える必要はありません。
しかし、慢性的に症状がつづくなど「患者が思っている期待値が通常想定されるよりも良い」場合にはその期待値を事前に訂正する必要があります。
その訂正をせずに治療へと進んでしまうと「期待値が高いまま」「失敗の定義が患者の認識のまま」となってしまいます。
結果的に、治療の是非にかかわらず患者の求める結果が得られない場合には「失敗ではないのに失敗と受け取られてしまう」のです。
医師の責任にしやすい環境【自身の健康を自分ごと化できない】
ここからは、「失敗を医師のせいにしやすい環境」の後半部分(医師のせいにしやすい環境)について見ていきます。
医師の責任にしやすいとは、健康問題を自分ごと化(問題にコミット)できないとも言い換えることができます。
そこには、責任の所在、社会保障制度、情報の非対称性の3点が絡んでいるように思います。
①健康問題において医師以上の適任者(専門家)はいない
先述したように、医療ができることを理解してもらい医療への期待値を訂正しておけば、医師を悪者にされてしまう可能性は大きく下がるように思います。
ただ、「本当のことを言うのはかわいそうだ」「治る可能性が低いと伝えることは医師としてあるまじきことだ」「そんな対応では医師としての心がないのではないか」などという考えのもとに期待値調整を行わない医師の外来を引き継ぐことも想定されます。
そんな場合には「『治る』と言われている」という無理難題な主張が患者から投げかけられてしまいます。
その際、健康について責任を負うことができるのは本来はそのことを告げた医師です。しかし、その医師はどこかへ行ってしまっています。残されたのは目の前の医師。
お隣さんへの医療相談で健康問題が解決しないなら、病院にいけば良いです。しかし、健康問題について病院の医師以上の適任者はいません。病院のなかでも、クリニックや小規模病院ではなく大病院や大学病院といった施設ではさらに深刻です。
「大学病院にいけば治るよ」などと前医から言われてしまっていては目も当てられません。
結果として大学病院にかかるのは重症患者や難病患者とは限らず、無理難題な期待値を持つ患者さんということもありえてしまいます。
さらに、期待値調整をおこなわなかった場合には、「その医療機関に通院すれば治る約束という既成事実」を作られてしまうのです。
その際に、治らない責任を押し付けるには目の前の医師が格好の標的となってしまいます。
②きめ細かな医療制度設計のため、患者のコスト意識が薄い
日本の保険医療制度は「国民皆保険制度・フリーアクセス・現物支給」を基本にしています。
低コストでいつでもどこでも受診することができ、世界的にみても素晴らしい制度です。
しかし、その手軽さによって「自分で何も考えなくても困ったら医療を受けられる」という意識を醸成している可能性があります。
例えば、皆さんが 10 円玉を落としてしまったと仮定します。
皆さんは、どこまでこの 10 円玉を追いかけるでしょうか?
足元に落ちているならば拾い上げると思いますが、側溝に入ってしまったり、雑踏に紛れてしまったら追いかける人は減るように思います。
「それなりに収入のある大人となった今」ならそうですが、「お小遣いが月 100 円の子ども時代」ならどうでしょうか。
当時なら、今よりも熱心に追いかけるのではないでしょうか。
この 10 円玉を健康に置き換えると、医療に対してコスト意識が低いと医療(自身の健康)に対して自分がコミットする意欲をなくしてしまう可能性があるように思います。
③情報の非対称性のために健康問題を自分ごと化できない
情報の非対称性は医療において避けて通れません。
医師は医学の専門家である一方、患者にその知識はほとんどありません。
患者が医療に求めるべきもの(最新の論文ではなくガイドラインといった一般的な水準)の知識を事前に得ることは現在ほとんど不可能です。
「ガイドラインは無料公開されているじゃないか」という意見もあるかもしれません。
しかし、公開されているガイドラインを一般の患者が読み解き理解することはそう簡単ではありません。専門用語も山のようにあり、不可能ではありませんが、よほどの忍耐がないと読みこなすことは至難の業でしょう。
例えば、医師が独学でプログラミングを習得しアプリケーションをつくることは可能でしょうか?
アプリケーションをつくるのに必要な知識はインターネットで確かに公表されています。しかし、どれだけの人がそれを独学で理解し作れるようになるでしょうか。だからこそ、プログラミングスクールというものが存在し、授業のなかで徐々にアプリケーションをつくることができるようになるのです。
知識のベースがない状態で専門的な内容を理解することは不可能ではありませんが困難ということがお分かりいただけたでしょうか。
「それなら病院で説明すればいいじゃん。」という意見があるでしょう。
しかし、思い出してください。
一般外来の患者さん多すぎ問題で述べたように日本の外来は世界的に見ても混雑しています。
実際、外来の診察時間はほとんど(全体の 2/3 以上)が 10 分未満です。(令和 2 年度受療行動調査)
10 分未満で、ガイドラインの概要を患者さんにわかりやすく説明し標準治療について理解してもらうことは不可能でしょう。
タテマエとしては保険診療のなかでは懇切丁寧に説明し理解納得してもらった上で診療に当たることが基本となっていますが、実質的には医師側が決めた診療を患者側が受け入れるという形式を取らざるをえません。
結果として、患者自身が診療に対する納得感がないまま治療が進みます。
このように、診療内容にコミットした感覚が患者に芽生えにくい構造があります。
自己決定を支援し健康に対するコミットメントを引き出す
では、どうすれば解決に繋がりそうでしょうか?
結論としては、インフォームドコンセント( IC )を徹底し患者自身に診療内容を決定させることでしか解決しません。
まずは「失敗が医師のせいになりやすい」の前半部分の失敗の定義の齟齬について。
前述したように、患者が持っている期待に対して求めるべき真に期待されるべき結果を事前に共有することで解消できる可能性があります。
問題は後半部分の環境面です。
医師が健康問題の高次の専門家であることは恐らく今後も変わりませんし、日本の社会保障制度が変更されることもすぐにはないでしょう。
であれば、現実的な方法としては「情報の非対称性を解消」することに注力するのが良さそうです。
もちろん簡単ではありません。外来患者の数は変わりませんし、医師の数もそんなにすぐには増えません。外来診療の時間が短いままなのは避けられないことです。
情報の非対称性を解消するには次の3つしかありません。
- 外来以外の時間で情報提供を行う機能をつくる(自費の医療相談など)
- 短い外来診療の時間で説明できるように資料を作成する
- 1回あたりの外来で治療する疾患数を減らし(1回の診察で顔も足も体も全てを診察することのないように決めるなど)口頭での説明が必要な量を減らす
2 や 3 は工夫している医師がいるでしょう。しかし、工夫をしても診療報酬は変わりません。懇切丁寧な説明と同意が行われた上での保険診療というタテマエがあるからです。そのため全体に取り組みが広がる可能性はかなり低くなってしまいます。
また、 1 も上手くいくかは正直分かりません。高単価であれば引き受けたい医師も多いかもしれませんが、患者さんが高所得者であったとしても、広まるかどうかは未知数です。そんなサービスがうまく広がれば医師と患者の期待値調整ができるかもしれません。
情報の非対称性が解消されればあとは単純です。
予め医師と患者で共通理解ができているため、患者が不可能な結果を期待することなく自らの意思で治療を選択することができるはずです。もちろん、検査や治療の選択は必ずしもひとつの正解があるわけではありません。それぞれのメリットデメリットを提示することは必要です。患者自身が意思決定するサポートをできれば、医師は医学的に妥当な治療を行うだけでよくなります。
保険診療の短い時間のみで、患者の意思決定支援を徹底することは簡単な道ではありません。
事前に期待される結果を伝えることに加えて 1- 3 のような工夫によって、患者自身の妥当な診療選択を可能にすることが遠いように見えて近道かもしれません。
そうなれば患者自身が治療自体にコミットできます。
マーケティング業界で有名な書籍『影響力の武器』によれば、人の行動を変える 6 つのチカラのうちの一つがコミットメント(一貫性)だとされています。「一度自身で選んだ選択についてそれを覆すことはむずかしくなる。」ということです。
そうなれば、理不尽に医者の責任にされてしまうことなく医師と患者が同じ方向を向いて歩んでいくことができるでしょう。本来、医療者は患者をサポートする存在のはずです。希望通りにならないからと互いにいがみ合うのでは誰も救われません。
患者と医師が協力関係を築くことができれば医師にとっても仕事の困難さが少しは軽減されるのではないかと僕は思います。
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